2001年、Palmな20大ニュース



ぶっちゃけたことを言うと、
本当は毎年恒例の
「Palm of the Year 2001」の季節だったりする。

で、今年もそれを開催したいのだが、
時間がない。

実は、今年はやりますか?
やらないのですか?…などの問い合わせも貰うが、
今年の「Palm of the Year 2001」は
難しいかも…。
出来たとしても来年?

という訳で、
まずは簡略版でも、と思い、
作ったのがこの10大ニュースだ。

昨年までは
「Palm of the Year」のオマケとして
最後についていたものだったが、
今年はこれだけで
まずは1コンテンツ作る。

許せ!

さて、いざ作ろうと思うと、
今年はニュースが多かった!
10大ニュースの予定が、
いろいろ細かいニュースを寄せ集めて
1つのニュースにしたりしたのに、
10個に収まりきらない。

という訳で、
今年は、拡大版の20大ニュースだ。

これも許せ!

第1位

Palm社の危機

2001年が世界的に幸せな一年とは言い難かったように、今年のPalmOS世界のニュース第一位もあまり楽しくないニュースになってしまった。原因は3つ。ひとつ目は、春に互換機メーカーが競って新機種を登場させた中、Palm社が焦ってm50Xシリーズの発表を急いでしまったこと。二つ目は、互換機メーカー同士の値下げ戦争のために体力を失いかけていたこと。三つ目はその後の結果により明らかとなったが一部メディアの暴走によりPalm社が危ないという情報が先走り、各種提携企業に逃げられたこと。これらの要因が絡まって膨大な在庫を抱えて、同社の株価は急落。本社ビル建設計画の中止、厳しいリストラが続き、身売りの噂も何度か流れた。通称「Palm危機」、と勝手に名付けておく。というのも、今回の危機は、ある意味自由主義陣営にとっての「キューバ危機」ぐらいの意味があったと思うからだ。


第2位

PalmOSバッシング

最初は「Palm危機」によるPalm社の自失だと思われていた2001年春のピンチだったが、時間がたつにつれて、一部メディアの暴走によって煽られていたという実態が明らかになってきた。春から夏にかけて、PalmOSはもうダメで、まもなくPocketPCの天下が来る!というニュースが連日のようにメディアに溢れた。これにビビったのは我々普通のコンシューマーだけではなかった。Palm社やHandspring社の株主たちがまず敏感に反応し、その結果、落ちた株価を見て、同プラットフォームと新たなプロジェクトを進めていた提携企業や、互換機リリースに動いていた企業などが次々と撤退した。実際にはPalmOSプラットフォームが依然としてかなり高いシェアを守っていたのに、だ。


第3位

SONYの躍進

実は、春ごろまではPalmOS陣営は絶好調だった。ところが春の「Palm危機」から真っ逆さまに転落の一途を辿ることになる。そんな中、同陣営で唯一、この春頃から好調期を迎えたのがSONY社だった。初号機の欠点をほぼ補ったN700系を春にリリースして以降、音楽と映像によるエンターテインメント性を前面に打ちだした同社のマシンが数ヶ月単位で次々とリリース(N700系〜N600系〜N750系〜T600系)され、機能だけでなく価格面でも奮闘して同陣営で唯一気を吐いた。最初は日本のみと言われた同社の市場だが米国においても一定のシェアを確保しつつある。ただし、今年のは脳死状態にあったPalm社に替わって、PalmOSを独自に進化させすぎたことへの批判もあるにはある。とは言え、今年春からの同陣営冬の時代を懸命に支えた功労は大きい。


第4位

Palm社の復調

そんなとっても心配した2001年春から夏の「Palm危機」だったが、夏の終わり頃から正確な数字が発表されると、各陣営の値下げ戦争という両刃の刃の影響もあるが、ほぼピンチ前の水準まで回復しつつある。そんな復調をもっとも印象づけたのは、ネット上でPalm社首位転落などと騒がれていた真夏のハンドヘルド市場のシェアで、Palm社50%、Handspring社30%、SONY社10%で、合計90%のシェアを守っていたというNPD Intelect社の調査。以降もPalmOS陣営は高いシェアをキープし続けており、ネット上ではやたらと高らかに謳われているPocketPC陣営はあまり好調とは言えない。それどころか、同陣営の生命線と言われた企業ユースがテロ事件まで含めた全米テロのためにあまり伸びていないようだ。


第5位

PalmFan、1000万アクセス

そんな中、日本を代表するPalmOSファンサイトであるM.Hiroseさんの「PalmFan」が97年夏の開設以来、5年間で1000万アクセスという偉業を達成した。もちろんのべアクセス数であることは承知の上だが、国民の13人に1人は見たという勘定になる物凄い数字だ。今年は陣容も充実させ、サイト内に「PalmwareFan」という新しい人気コーナーも生まれた。運転の腕はともかく、料理の腕は上がっているようだ。日本PalmOS界を代表する独立メディアとして、いつまでも頑張って欲しいサイトだ。ひとまず。


第6位

ハンドスプリング日本法人縮小

「Palm危機」によるPalmOS陣営の危機が妙なところに影響したのが、Handspring社の日本法人であるハンドスプリング社の規模縮小だ。いかにもアメリカの企業らしいというか、我々はこのニュースと同じ頃、日本デートウェイ社の撤退劇を観ているが、これと同じことが日本のPalmOS界にも起こったと言える。つまり、お金が減ったら、事業を減らす。その対象として日本法人が俎上に登ってしまったらしい。実際、カラー&高機能マシンへの需要が高い日本市場では、カラー戦略が遅れている同社の需要は弱かったのは事実だ。残念なのは日本版VisorPhoneの計画までも、ここで頓挫してしまったことだ。その製品がどこまでのものになっていたかは不明だが、ネット接続への需要も高い日本だけにTreo前の試金石ととして期待されていただけにとっても残念。また、更なる影響としてこの夏にHandspring社から全米で発売されたVisorNeoとVisorProは日本語版が発売されていないのも残念!


第7位

Palm社がBe社を買収

意外な展開ゆえにかなり驚いたニュースだったのが、Palm社がこの夏、元Apple社のJean Louis Gassee率いる異色のOS企業であるBe社の人材と知的財産を買収したこのニュースだった。来年からのARM時代に向けての布石、Be社の順応性とマルチメディアに強いOS技術を獲得したかったから、と言われているが、ちょっと疑問なのは、それにしてはタイミングが遅すぎない?ということ。やはり、Palm社の夏の危機が影響しているのかもしれない。年末にBe社の株主がこの決定を覆そうとしたりもしたが、結局既定の方針のままBe社は解体して、Palm社に吸収された。


第8位

値下げ戦争、激化

最初はPalmOS互換機メーカー同士のつば迫り合いから始まった値下げ合戦だが、途中からPalm危機のせいもあって、在庫処分市のような様相を呈した。ただし、PoketPC陣営が高価格高機能マシンを本分としているおかげで、現在の低価格デバイスはPalmOSが本来目指してきたオリジナルの戦略を偶然踏襲することとなり、販売的には成功しているようだ。ただし、利益は当然減るわけで、PalmOS陣営がそのアイデンティティのひとつとしてきたPalmBusinessへの影響は甚大で、世界的不景気という背景もあって関連産業はかなり音を上げつつある。どこかで方向転換は必要になるだろう。また、値下げ戦争の中の最大の矛盾であるPalm社がハードウェアとソフトウェアを同時に持っているという点については、既定の路線だった分社化に更なる拍車がかかっているようにも見える。


第9位

PalmSourceの延期

こちらはPalm社の危機というよりも、2001年最大の国際ニュースとなった米国同時テロの影響により、毎年秋に開催されてきたPalmOS世界最大のイベント「PalmSource」の開催が突然、来春まで延期された。同時に発売の延期が発表されたPalm社の新型ワイヤレスデバイス「i705」については、テロの影響というよりも同社の経済的状況も影響していたと思われるが、結果としては高価格マシンをテロの影響がもっとも色濃く出た今年のホリデーシーズンにぶつけなかったことは正解だったかもしれない。なお、日本版PalmSourceも来春の開催が決定している。


第10位

KAIZOよ、永遠なれ!

この夏、日本を代表し、世界的にも有名だった改造系のPalmOSファンサイトだった2つのサイト「Palm de COOL」と「DaiyaHP」が相次いで、突然その活動を休止した。そのタイミングから、Palm危機との関連が囁かれたりもしたが、機長のその後の調査によるとそれぞれ、個別の私的な理由により更新停止や閉鎖であることが確認された。とても残念ではあるが私的な理由である以上やむをえない。なお、10月末に誕生した「東京ラ・パーム」のサイト内に、「Palm de COOL」の意志を継ぐサイト「東ラ技研」が誕生したことも付け加えておく。


第11位

新機種ラッシュとPalmOS 4.0

くどいようだが、2001年春の時点まで、PalmOS陣営は元気そのものだった。そんな中、Handspring社から薄型美形筐体の「VisorEdge」、SONY社からはハイレゾ液晶とMP3再生が売りの「PEG-N700C」、Palm社からは旗艦デバイスとして「m500/m505」、TRGpro改めHandEra社からは独立独歩の「HandEra 330」が、次々と発売された。最新のPalmOS 4.0はウェブクリッピングなどをその特徴としたが、残念なことにPalmOSデバイスのワイヤレス化はPalm危機の影響もあって、遅々として進まなかった。とくに残念なのは、今年中には出ると一部で噂されていた国産ワイヤレスPalmデバイスの噂を最近聞かなくなったこと。あれってばどうなったんだろう?ほんとに罪なPalm危機だ。


第12位

Xerox訴訟で敗訴

まだまだ記憶に新しいが、97年の訴訟開始以来二転三転を続けてきた、Xerox社によるGraffiti訴訟でこの秋、Palm社は敗訴した。もちろんすぐに控訴の準備を進めている。それにしても今さらの敗訴には驚いた。


第13位

Treoとi705の発表

Palm危機と実は直接関係ないとも思うのだが、来年以降PalmOSデバイスはワイヤレスでネットに繋がるものと、そうでないものと二種類に大別されていくらしい。そうした中、Palm社とHandspring社がこの秋、それぞれ「Treo」と「i705」を発表した。それぞれ来年前半には登場する予定だが、その発表時の両者の段取りの悪さは、かなり印象深かったが楽しみな2機種だ。果たして日本では?


第14位

新サイト、続々と生まれる

この春、PalmOS陣営がまだ一大攻勢をかけていた頃に、「PalmOS@nifty」や「ZDNet/PalmOS Channel」「PalmOSLove」などの企業も絡んだ大型Palm系サイトが次々と登場した。さらに、今年前半に台風の目的存在となった「YoungPalm & Wine」を始め、他のOSファンサイトから転向した「えんすぅ〜ぱぁむ!」、独自の路線を突っ走る「Palm盆地」、新傾向の「デラデラバイザー」などの新しい世代のサイトも台頭、「Hwaiian Palm」や「PalmBaseball」のような1ジャンル特化サイトなども目だった。


第15位

分社化の動き、進む

早ければ年内にも、と言われていたPalm社の分社化は来年に延期されたようだ。ただし、人材の出入りはゆっくりと進んでおり、5月には元Gateway社の副社長だったTodd Bradleyが新COOに就任、8月にはソフトウェア部門のCEOに元AT&TのCTOだったDavid Nagelが就任している。彼らが新体制の核的人材となる。一方、退社組では、1月にCTOだったWilliam Maggsが、8月にはPalm社不遇の時代を支えたPalm Platform Solution GroupのGMだったAlan Kesslerが、11月にはCEOのCarl Yancowskiが退社している。CEOには元親会社3Com社の会長Eric Benhamouが暫定的に就任している。で、実はソフトウェア部門についての人材は集まりつつあるが、一番大変そうなハードウェア部門の人材は不在のままであり、年末になってPalm社がHandspring社を買収するという噂とともにJeff Hawkinsや、元AppleでNewtonを発表したJohn Scalleyなどの名前まで上がっている。一方、Handspring社では会社創設以来の危機を乗りきるべく、7月にJeff、Donna Dubinskyと並ぶ同社三本柱の一人、Ed ColliganがCOOに就任している。


第16位

プログラマはコンテストで育つ

今年は日本でPalmOS関連の二つの大きなソフトウェアコンテストが開催された。ひとつは今年2回目になる「第2回「クリエ」プログラムコンテスト」で、高橋大樹さんの「Crs-Launcher」がGrand Prix de CLIEに選ばれ、今年が初開催になる「PalmOSソフトウェアコンテスト2001」では、ソニーエンジニアリング株式会社のPalmOL1号2号さんの合作によるファンシーな予定表置き換えソフト「ともカレ」がグランプリを受賞した。両コンテストともに多数の応募があり、熾烈な戦いとなり国産Palmwareのレベルの高さを証明した。朴一兵さん、阿部高明さん、入交和彦さん、大森正則さん、山岡久俊さんら、今年は若手プログラマが多数排出する一方で、山田達司さん、今関弘明さん、高橋大樹さん、福本修仁さん、関根元和さんらベテラン組の活躍も目だったバランスのいい一年だった言える。


第17位

等身大のユーザーイベント

2月のMacWorldEXPOの時期には瓜生@PUGOさん主催による恒例「mak21」が、9月のPC EXPOの時期には依田@彩パームさん主催による「pum2001」がそれぞれ東京で開催され、全国のPalmOSユーザーが集まった。これまでのユーザーが必死に頑張って裾野を広げよう!というスタイルから、ユーザーが純粋に楽しもう!というメジャー時代のPalmOSイベントへと進化を遂げたことは特筆すべきことである。


第18位

互換機メーカーの参入と撤退

これはもろ、Palm危機の影響を受けた分野と言える。発表されていたかどうかはともかく、今年の初めには多数計画が進んでいたPalmOS互換機の計画は、春から秋にかけてそのうちのいくつか頓挫したり、別のOSへの転向を表明することになった。おもなところでは、3月にPocketPC陣営の雄Hewlett-Packard社がPalmOSへの転向の気配を見せ、KyoceraからはとうとうPalmOS搭載携帯電話が登場、夏にはSANYO社やPanasonic社からPalmOS互換機が出るのでは?と噂された。9月にはMotorola社とNOKIA社がPalmOSの不採用を決定した。また、6月にPalmOSの採用を発表し10月に製品を発売した台湾のAcer社は、大きな中国市場を控えて注目されたが、結局はPalmOSとPocketPCの両OSを採用することになったらしくい。それとは直接関係ないが12月には企業名を「Benq」と変えた。


第19位

HandEra誕生

かつてPalm用の増設メモリなどで有名だったTRG社がPalmOS互換機「TRGpro」を発表した時にも驚いたが、今年、同社はHandEra社となって、またまた自由気ままなPalmOS互換機「HandEra 330」をリリースした。そのマニア心をくすぐる独自の機能は多いが、もっとも特徴的なのは、これからの主流になるであろうと言われているソフトウェアGraffiti技術の採用。これにより、ずっと正方形だったPalmOSの画面構成が初めて縦長になった。


第20位

Yancowski、退陣

第15位の「分社化の動き、進む」ともカブるのだが、今年のPalm界を象徴する動きとして、Palm社の元CEO、Carl Yankowskiの存在はあまりにも特徴的だった。後任となった暫定CEOのBenhamouの苦し紛れの言い訳によると、Yancowskiは、分社化前に新しい人材を集めるためだけに呼ばれた人材であり、分社化が決定した今、彼は必要なくなったということだが、そんな話、どう素直に聞いても信じがたい。正直な話、Palm危機を招いた失策(その前段階の余剰在庫の問題まで含めて)の罪は大きい。また、m50Xは自分自身が初めてゼロから作ったプロジェクトだけに、そこにすべてを賭けていたと言われるが、その肝心の場所で自失のために大失敗をおかした以上、退陣は時間の問題だった。彼が退陣した時、社内で拍手が起こったというのもうなづける。


【番外その1】

瓜生良治、リストラ?!

9月、日本のPalmOS界を激震が襲った。日本PalmOSユーザーグループのまとめ役で、大阪PUGOの元締めでもある瓜生良治さんが会社を辞めることになった。11月から新しい仕事を再会。今年は、日本のPalmOS世界ではベテランと言ってもいい瓜生さんが新人としてサイトデビューした年でもあった。これがなかなかいい。


【番外その2】

手前味噌だが、パルマガ創刊

年の瀬も押し迫った12月9日深夜、機長のサイト「iPAL-NEXT」が突然更新を停止し、「えんすぅ〜ぱぁむ!」のたかゆきえさんと組んで、新サイト「パルマガ」を同10日より更新開始した。なお、2001年には更新停止をして久しい「パーム航空」が200万アクセスを達成、「iPAL-NEXT」も140万アクセスを達成した。



どんなもんだろう?

ニュースと言いながら、
かなり独断と偏見に満ちた意見も多い。

また、
実はまだまだ零れている要素もありそうだ。

ま、今年はこんなもんで
許したる!

うん?